映画

【映画】セッション~私たちはなんのために生きているのか?~

努力・本気・限界

映画「セッション」には、自分の持っている常識を根本からひっくり返せてくれるような力がある。

主人公の姿を見て、自分のケツを叩くことができる映画

主人公ニーマンも監督のフレッチャーも人並み外れた狂人っぷりで、若干引いてしまう人がほとんどではないだろうか?

しかし、今作のヒロインの女の子が出てくると一度映画を見ている自分のことを省みることになる。
なぜなら、ヒロインはいたって普通の人物だからである。

将来の夢もなく、なんとなく映画館でアルバイトをしている。大学ではなんとなく居場所がないような気がして、日々を有益にいきているわけではない。

そんな一般的なヒロインと対比した時に、主人公ニーマンの人並み外れた努力が際立ってくる。

将来何になりたいかも決まっていなく、なんとなくモラトリアムを過ごしているヒロインと、偉大な音楽家になりたいとひたすら夢を見て全てを捨てて努力しているニーマン。
視聴者にはどちらが輝いて見えるのだろうか。

誰でもなんとなく日々を過ごしてしまうことはあるだろう。
何も考えずに、映画やゲームをして過ごす。最高に気持ちがいい。

だが、そんな中でも世の中にはニーマンのように貪るように努力を重ねている人間もいる。
そう考えた時に、何か行動しなければという気がしてこないだろうか?

この映画は私の起爆剤にもなっている。
この映画を見た後はとてつもなくやる気を上げることができるのだ。

私たちはいつから本気を出さなくなったのだろうか

主人公のニーマンは目的達成のために一直線だ。

音楽学校に通っているにも関わらず、空いた時間はもちろんベッドにいる時までも何かしら音楽に関わることをしている。

これだけ一つのことに没頭したことはあるだろうか?
これだけ一つのことに本気になったことはあるだろうか?

自分の生活を振り返ると、仕事と休日の娯楽は完全に分けられ、なんのためにいきているかもわからない。そんな人は若いひとに多いのではないだろうか?

もちろん、日々の生活に感謝し、小さな幸せを噛み締めることで穏やかに暮らしていくのが幸福感は高いだろう。

ただ男なら少しはこんな気持ちが残っていないだろう

「何かを成し遂げたい」

映画のキャッチフレーズは「狂気」

この映画のキャッチフレーズは「狂気」だ。

しかし、狂気たは普段生活している冷めた我々にとってこそ理解しやすいフレーズだ。
真の狂気とは最も美しいものであると私は考える。

この映画で見られる狂気こそ人間が完全にリミッターを外した時の真の力なのではないか。

現在は科学が進み、効率の良い生活や体調を整える食事や運動、睡眠の大切さなど効率よく生きるためにはやる気だけでなく、賢い生き方が重視される。

やる気だけで声を張り上げている人は大衆に嘲笑されてしまう。
それを恐れてほとんどの人が真の意味での本気を出すことができない。

恥や絶望、あらゆる困難に遭遇してなお諦めない。
人はそれを狂気と呼んで距離を置いてしまうのだ。
本当は美しいもののはずなのに 。

最も学んだこと

この映画を見て思うことは以下のことに尽きる。

「偉大な人間は血の滲むような努力をしている。私は?」

自分の目的は掲げているだろうか?

目的に向かって今日は何をしたのか?

1分1秒経過している「今」何をしているのだろうか?

ほとんどの人は休日にいつもより遅い時間に起きて遅めの朝食をとり、撮りためていたドラマを見たりゲームをしたり。
夜になれば友人と仕事の愚痴を言う飲み会に行ったりするのだろう。

別に調査したわけだはないけど、世の中そんなもんだと思う。

みんながそうやって過ごしているから、自分もそうやってダラダラ過ごすのが普通になってしまう。他人と違うことをするのは怖いし。

しかし、何か叶えたい夢があるならそんなことをしていては叶わない。

行動するときは今だ。
主人公ニーマンのように。